2019年12月31日火曜日

令和のCS

もし、「未来」という街角で、私が君たちを呼び止めることができたら、どんなにいいだろう。 
「田中くん、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている、二十一世紀とは、どんな世の中でしょう。」 
そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という街角には、私はもういない。
-司馬遼太郎『二十一世紀に生きる君たちへ』より-


平成は過ぎ、令和になって初めての正月を迎えようとしています。

まだ日本が戦争をしていたときの元号に生まれた僕としては、21世紀なんてのはドラえもんに近い世界であって(ドラえもんは22世紀ですが)、空飛ぶ車、動く歩道、ドーム型都市、恒星間航行、ファースト・コンタクトでイメージされる、輝かしい未来につながる世紀として捉えていました。

その近未来とでも言うべき世紀の、約5分の1を生きてなお、僕は21世紀を実感できずにいます。

僕が生まれた時代や、それ以前の時代から考えると、たしかに今の社会は大きく変わりました。子どもだった時分にはWWⅡの帰還兵が教師をやっていて、体罰やセルフ黒塗り教科書(=教師の思想都合で授業内容が変わる。社会系の教師に多かった。)は当然のこと、給食を残そうものなら放課後掃除の塵埃の中、居残りで無理やり食べさせられ、部活中の水は甘え、駅では皆がタバコぷかぷか(そして例外なくポイ捨てしていく)、飲酒運転は黙認(現行犯じゃないと捕まらないからパトカーに追いかけられても逃げれば勝ちだった)、ここでは書けない各種ハラスメントも多くありました。街も川も工場等からの排煙排水で汚く、そこかしこで立ちションするので小便臭が漂い、全体的に法律を守る意識が薄いからか都市の治安も悪かったと聞きます(僕は田舎暮らしでしたが)。何よりインターネットが無いため初期環境への依存度が大きく、spawn位置が悪いとその人の可能性が潰されていくことが当然の様になっていましたし、真実なんてものは現代の方がまだ重要視されてると思うぐらい権力者・年長者側の都合でどうにでもなるものでした。
更に過去を遡ると以前twitterでリツイートしたこの記事にあるように蛮族日本の姿を垣間見ることができるわけですが、これらを令和日本の社会と比較すると、偉大な先人達そして極々微少ながら自分の努力が社会を変えていけたことを嬉しく思います(個人的には蛮族時代に戻す方向のムーブも多く、プラマイするとマイナスではないかとも思われ大変反省しています)

しかし、これだけの目覚ましい改革があってもなお、僕は21世紀を感じることができません。
おそらくそう感じるのは、これら改革の光が、今なお社会の奥深い病巣には届いていないことを、政治全般・会社・各産業界・日本郵政・水産庁・角界・官憲・入管・宗教・右翼・左翼辺りのやんごとない御身分の方々が頻繁に御開帳なさるからではないかと考えています。

前置きが長くなりましたが、同様の前世紀感、昭和感は、CSGOなどのゲーム界隈にも感じています。そもそもの話としてValveのガチャガチャシステム・ギャンブルサイトと結びつき作り上げられた上納システムが、分別のつかない子どもから小金を巻き上げ、彼らをギャンブル中毒に陥れていることは道徳なき商売の見本であり、この親分に習って三下すらチートを販売し、外国人選手から在留カードを取り上げ、給料は未払いし、何ならレンタルPCを契約させてお金を取る。末端の選手側もチート疑惑でライバルを潰し、まるで社会常識を疑う発言を繰り返し、チートを使っても認めず転生し、そしてそれらを非難する側にすら良心は少なくほとんど快楽のみがある。

CSが生まれて約20年。人口は増えシーンも拡大し、動く金と人の量は、いつのまにかコミュニティというレベルを遥かに超えてしまっています。その中で上に挙げたような悪行を繰り返す人間も出てきますが、どの人間も本来100%悪であることはないし、100%善であることも無いはずです。ときに承認欲求に負け、ときに嘘を付いてまで自らの名声を守ることを優先し、ときにキャピタリズムの操り人形となりますが、ときに真実に生きることができ、ときに自分に正しくあることができます。
黒っぽさと白っぽさの混合物で灰色になったドロドロの、理不尽なまでに複雑で矛盾しているのが、人間だと思います。

最初に引用した文章には、次のような言葉が出てきます。

『人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいに助け合いながら生きているのである。自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。 助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。「やさしさ」 「おもいやり」 「いたわり」 「他人の痛みを感じること」 みな似たような言葉である。これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならない。その訓練とは、簡単なことだ。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分でつくりあげていきさえすればよい。この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲良しで暮らせる時代になるにちがいない』

上の文章は、世が昭和から平成になったとき、戦争を知らない当時の小学生に向けて書かれたもので、ぜひ全文を読んでいただきたいのですが、作者が書く「たのもしさ」と「やさしさ」の調和は、今の元号にふさわしい、今の世に最も必要とされているものとすら感じます。

『令和の時代とは、どんな世の中でしょう』

この問いを持ち続けながら、僕は令和を生きたいと思います。gl 2020